脇にそれた細い道を行く。そして、谷の底に降りて行く。その間に、おんじといろんな話をした。
おんじは働いていた頃は淀屋橋に会社があり、意外と私と近くにいたこと。
世の中、多くの見知らぬ他人に満ち溢れているが、その中には、今回のように、明日、明後日、いや一年後かもしれないが、仲良くなるであろう他人も混じっているのだと思うと、日頃から他人に親切にしておいた方が、記憶の良すぎる人と知り合いになった時に、何かと不都合がないんじゃなかろうか、と思ってしまった。
久々に山登りのものを買いに行ったら、いろんなものが新しく、軽くなっていてびっくりしたこと。
私は一年未満なので、そのことに全く気がつかない。でも、日進月歩で技術開発されている世の中だ。ザックも一回りコンパクトなサイズでテント泊できるようになったらしい。ということは、安全な範囲において、体力の少ない人達が山で楽しむ確率が上がったということで、大変喜ばしい。あとは、水がもうちょっと軽くなってくれる革命的技術開発を待ち望む。1リットル500グラムでお願いしたい。ノーベル賞も捧げよう。
次の滝まではすぐだった。その滝は百間滝という。
先ほどの七曲滝ほどの大きさはないが、なかなかの迫力である。人間悲しいもので、どんな素晴らしい光景も多少にかかわらず「慣れ」てしまうところがある。がしかし、おんじや、他の人が
「おお、今年はすごい」
と口々におっしゃるので、そうか、よし、目に焼き付けよう。となった。
しかし、これら大きな滝が凍るほどの寒さ、いかほどであろう。今では世界中の絶景を、誰もが間接的に見ることができる。しかし昔の人は実際に自分の目で、現場に来てでないと決して見れなかったのだから、こういった景色はまさに神秘的であったであろう。神や御仏になぞるのも無理はない。本当に美しい。自然のなせる技にしては、「美」に寄りすぎているのだ。
「よし、最後の滝もすぐそこだからね」
「はい!心得て降ります!」
と、我らが探検隊は目指す最後の秘境に進んで行くのである。
本当にすぐだった。似位滝という。なんとも不思議な名前である。
きっと何かに似てる滝なのであろうか、七曲滝に似てなくもないか。いや、どうだろう。
「おお、これもすごいっすねー」
「ほんとに、氷瀑っていいよね、冬はこれに限る」
山登りの楽しみが1つ増えた。今までは頂上に行くのが登山と思っていたが、こういった滝をめぐる登山もあるんだな。沢登りや、クライミングもたしかに頂上を攻めるというわけではない場合もある。山は自由に楽しめばいいのだ。たしかに、山や、池のほとりでテント型のサウナをこしらえて屋外サウナを楽しむ人たちを私は知っている。あれあれは本当に気持ち良さそうだ。
最後の氷瀑を見終わった。帰途につく。
「ここをね、川沿いに行くと、最初の地点に戻れるんだよ。すこし険しいけど、そっちにする?」
「はい!そうしましょう!」
今回、おんじには一切「ノー」は言わないと決めていたし、彼の助けになるなら頑張ろうと思っていた。
で、私たちは谷を降りる。
しばらく行くと、なんでしょうか、このせりたった険しい崖に挟まれた隙間。
ゴルジュというらしい。両岸を切り立った岩壁で狭められた場所をまさにそう呼ぶのだとか。かっこええ。13番目のゴルジュとかあったら、ネーミングに苦慮しそうだ。
しかし、大都会から少し来ただけで、こんな絶景が佇んでいるとか、不思議だ。特に六甲山ならではのことなのだろうか。有馬温泉から頑張ったら一時間かからず来れそうだ。それでこれら絶景群。近々海外観光客で溢れそうだ。事故のないようにしてもらいたい。
そして、いつの間にか、狭い崖肌を進んでいた。怖かったというより、楽しかった。
昔だれもがやったジャングルジムや、石垣登り、木登りのワクワク感だ。
六甲山にはクライミングできる場所も数多くある。あの人たちもこういったワクワク感から始めたのだろうか。
一歩一歩、ここは本当に慎重に歩んだ。ここで事故してしまったらあの親切なおんじに本当に申し訳ない。ご安心ください、私は落ちません。
おんじが写真を撮ってくれた。見事に「どこかの名峰を攻めている私」の写真となった。弟子入りさせてください。
二人とも難所をクリアし、さらに沢を下る。
しばらくすると、広いエリアに出た。この広いエリアのような場所が、何度かある。最初は、何にも考えていなかったが、あることに気がついた。
これは人工的は平地なのだ。
木々が生い茂っているが、確実にここは人が作った場所なのだ。こんななんの意味もない平地ができた訳は、その先にある。
堰堤である。「えんてい」と読む。いわゆる土砂崩れ防止のダムである。
六甲山はこの堰堤がとても多い。おそらく、ハゲ山化した時に災害がふえたときからの設備だろう。この堰堤の上にまさに土砂がたまって平地になったのだ。だからほんとはここは、切り立った渓谷なのである。本来は。タモさんがいたら即答であろう。
貴重な渓谷をこんな平凡な平地にしてしまう寂しさ、以上にやはり、この土砂が麓の町を襲うことを防止したという証拠の上に立っている。なんとも言えない感覚だ。なんにもいえねー。堰堤、半端ないって。
そして、ついに来た。地獄の上り坂「炭屋道」である。
「おお、来ましたね、、この日が」
「はあ、やだねえ、まったく。」
全てを諦めた私たちは、登る。延々と登る。
途中、なんどか「お、もうすぐっすね!」と間違った発言をしてしまい、おんじに迷惑をかけた。
この部分はほんとに記憶にない。人間ってすごい。
なんとかかんとか、坂を登りきる。
そこにはベンチがある。わかってるなあ。
「お疲れさんでした!」
「いやー、これは本当にきつい」
ひとりなら、気分的にもっと疲れてたであろう私たち。ペアを組んでもらってよかった。もうすぐだ、とか、まだまだ、とかが最初からわかると、ペース配分に本当に役立つ。
がっつり休憩を取ったのち、ただ降りる道をただ降りる。延々と。それはまるで、コンビニでバイトを8時間働いて、そこで10000円分の買い物をして帰るぐらい、悲しさに溢れている。いや、そうではない、これはきっと次の登山のための筋肉と心臓のためになっているのだ、なんてこの頃は考えるわけもなく、仮に下のみちが開通していたらどんなに楽だろうと思いながら下る心の狭い、心がゴルジュな私なのであった。
そして、とうとう、車道に降りた。
「ついた!!!」
「おつかれさま、ありがとう」
「こちらこそありがとうございます!本当にすごかったですね、案内ありがとうございます!ゴルジュすごかったっす!」
「うん、また行こうね」
「はい!」
と、憧れの先輩にまた映画を誘われたかのような乙女なわたしであった。
実話物語において、困るのが最後の締めである。
どんでん返しもなければ、きゅうにおんじが「私が殺したのだ」とかもないし、学園の校舎の窓際で休憩中の女子高生の妄想でもない。
というわけで、なんのオチもなく終わろうとしていた。
が、
「どこかでお茶でもしない?」
とおんじがまさかの乙女な発言をしてくれたから、これをオチとして、今回の物語は終わりである。