山と僕とカメラ

山と僕とカメラ

登山初心者のバタバタ日記

ほんの少しの違い

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母は、ちょうど広島県尾道市福山市街の中間の地域に住んでいる。

家のある集落は高台に位置して、浸水もなく、水道と電気も通っていて報道されているレベルの不便はない。しかし、やはり道路と線路が止まっている箇所があり、食料品などの流通が細くなっているようだ。

 

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母達、電気水道が通ってる地域に住んでいる人達に必要なのは、野菜や精肉など、普段の生活の食料品である。スーパーには、やや品数は少なくなりつつあるが、そういったものは、まだあるらしい。鮮魚などは無いので、我慢して肉などを凍らして保存している。オープンの時間に行けば何かしらある。もちろん流通が止まっているので、全体的に商品は少ない。コンビニなどは品物がないらしい。

そして、となりの尾道市から、車で食料品などを買いに来られる人たちが大勢いらっしゃる。母の実家があったあたりも、土砂崩れで大変な事になっている。尾道は現在、水道が乏しい状況なので、調理しなければならないものは、買ってもどうしようもない。なるべく手をかけずに、すぐに食べられる即席麺や加工品を大量に購入しなければならないとのこと。生鮮食品よりそういったものが多い24時間スーパーなどに向かうらしい。

数キロ離れただけで、必要なものが全く違う。生活が違う。

衝撃的だった。それがすでに当たり前の経済状況なのである。 助け合いたいにも、やりにくい、ややピリピリした状況が見える。

 

 

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瀬戸内海はもともと海運が盛んであった。古来、というわけではなく、数十年前まで瀬戸内海はフェリーや巡航船で溢れていた。三原の港にはひっきりなしにフェリーや高速艇、水中翼船が入港していた。国道フェリーなるものもあった。

それが、過疎化による利用者の減少、橋の整備などでどんどん船が減っていった。

私が通学で乗っていたフェリーも、便が減少し、今では遠くフィリピンで活躍している。

方言も山を越えれば少しずつ変わる。それほどもともと中国地方の集落は孤立している。

貴重な陸の道が止められた今、復旧までの人や物の運搬に船が使われている。

今後も、海での輸送も日常化すればとても良い。

現在、河口には氾濫で流れてきた浮遊物に溢れて、船の交通も、たいへん難しいらしい。なんとももどかしい。

 

 

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雨自体はやみ、氾濫も静まりつつある。

 

中国地方は災害が少ないと言われてきた。

梅雨の雨で、ここまでの災害が起き、そして、露呈されたここまでの交通の断絶、誰も予期してなかった。

 

 

 

 

災害が起きた時から配達なし

事前の準備を