前回
穂高岳山荘で就寝
そう、あのちょいちょい出くわす、2人組み、と同じお部屋だ。
向かい合わせで、少し気恥ずかしいですが、なんだかアレ。高校1年生がオリエンテーリングで相部屋になった時のあの気分。
とても愉快なお2人でした。男性の方は毎年この時期にここに来て10年くらいたつというツワモノであった。パートナーのお方もいっしょに毎年来ているようだったが、奥穂高に登ったのは初めてらしく、とても楽しそうだったのをみると、この人もツワモノだ。
彼らはこの後、徳沢で一泊するようで、それはまさに私達と同じスケジュール。またしても、会いそう。会いそう率100パーセント。
グッナイ。
朝
で、穂高岳山荘の朝がきた。
もうまるで私たち、山小屋の民はアルプスの壮年、ハイジだ。ペーターだ、そしておんじだ。
で、「おんじ」って、なかなか使わない名詞が出てきたことに、当時幼少期は戸惑った。
おんじ??
で、穂高岳山荘の朝。
日の出前から当然のように、起きる、日本で誰よりも早く日の光を浴びる準備を整える。
着込む。着れるだけ着る。
と、出て行くと、もう、皆さん涸沢の方に向かって青白い空を眺めていた。
遅ればせながら、私もいそいそと向かうと、そこに神々しい太陽、英語で「SUN」がさんさんと上がって来たのだ。
寒さを我慢しながら見ている人は皆、目に感動の涙を浮かべいたとかいなかったとか。
実は、寒くて、眠くてあまり覚えてはいませんが、たしかに写真ではきれいな光景が焼き付いていた。
ひとしきり感動したら、いそいそと、お布団に帰っていく、私たちであった。
朝食の少し前、下山の準備をしなければと、起き上がり、諸々の準備をしながら、向かいを見ると、たしか、同じくらいに起きたはずなのに、例の2人組みは、素早い、そしてそつのない行動であっという間に準備し終わっていた。すげー。
朝ごはんだ。
いただきまーす。
もう完全に修学旅行。
皆めいめいの席に座り、いや、軽く指定はあったが、はい。
「昨日は眠れたでしょうか?」
「朝日は見ましたか?」
「今日の予定は?」
「あー、美味しい、このほうばみそ。」
「おかわりは?」
「いくらでも食べれるね♪」
と、あらゆる席から聞こえる何度も繰り返されるこれらの発言も心地よく耳に入る。
朴葉味噌、本当に美味しかったので、後日、お土産で買って帰ることになる。
涸沢に出発
皆さん、めいめいが散っていきます。下山。
我々も満ち溢れた、まだまだここに居たいという気持ちと余韻を振り切って、さっそうと、ゆっくり降りるのだった。
すでにもう、下界から登る登山者がゾロゾロと頂上に来ていた。
何だろうこの感じ、そう、芥川の蜘蛛の糸だ。ちゃんと読んだことないけど。
ゼーゼーハーハーと登る人を見ながら降りる時に、「ガンバレ」以外でよく使う言葉、「あと少しですよ」どの辺まで、「あと少し」なのだろうか?で、それを間に受けて、ラストスパートをきって、ゴール直前で、ニトロがなくなってしまうメカドックのゼロヨンみたいになっても困るしなーっと、これまた毎回思ったり思わなかったり。ありますよね?「全然あと少しじゃないやん!!」って思う事。
とか考えに考えた挙げ句、そんなときは、グッジョブサインぐらいで軽く挨拶をしながらの下山。
ところどころ、人がいないところで、尻セードで降りていく。なにこの楽チンさ加減。そして、今更ながら、滑落停止訓練。一応ロープつけて。
なかなかうまいこといかないながらも、しばらくやってると、なんとなく身についた気がしますが、きっと気のせいだし、これくらいの練習では本番では、全く役に立たない気がする。姿勢よりなにより、一秒でも、とにかくとっさになにがなんでも止まることが大切なのだろう。実際におきるのは、涸沢カールで立って降りれらくらいの傾斜ではなく、昨日の奥穂高の雪壁のような場所だ。あんな壁で、ひっくり返ってグサーっとか、ゆうちょうな事は出来ない気がしてならない。絶対に滑落しない、これが大切だ。とはいえ、地道にこれからも練習あるのみだ。
と、言ってる間に、言ってないけど、テントベースに着いた。
あっという間。
そして、なんという事でしょう。
とっとと先に降りたはずの山荘でいっしょだった人達が私たちを待ってくれていたのだ。
まるで船木選手を見つめる日の丸飛行隊の原田選手のように。
恥ずかしい、あの謎の訓練も見られてたかと、思わないように、それはもう、忘却の彼方。
みんなでワイワイ記念写真を撮って、またどこかで会いましょう!!と誓い合い、解散。徳沢で会うけど!!
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