地震が発生し、3日。しかしまだ余震は続いて、不安は一向に収まらない。
いま、関西では、皆が自分の行動を慎重に選んでいる。仕事で打ち合わせの場所を選ぶ時に万が一地震がふたたび起こった場合、帰宅しやすい場所となるとどこか?とか、常に持っているべきものは何か、とか、誰かに自分の今日の居場所を知らせておく、とか、とりあえず現金をたくさん持っておく、とか、水を持っておくとか、歩きやすい靴を選ぶとか、である。
こういった事は実は、地震があろうがなかろうが、常に考えておくことが、必然であり、自然であるのだが、いつもはインフラや街全体の設備がそれらをカバーしてくれているので考えなくてよい、という気持ちで生活してしまっている。
どこでもきっと電車やタクシーはあるし、電車なくなれば、ホテルもある。風呂もある。カードとスマホさえあれば、最悪コンビニでなんとかなる、水もある。何かあったら、SNS等で知らせればよい、舗装された道は、オサレな靴がよく似合う。といったところか。
それほどインフラは私たちを日頃守ってくれていて、それに私たちは、当たり前に乗っかって、都会は便利だ。である。
これを当たり前と思わず、無いなら無いなりに創意工夫、恥をかき捨てて、準備、行動する事が大切なのではなかろうか。しかも事が起きる前から。
今喫茶店にいる。京都の。
サラリーマンたちがかれこれ30分くらい、地震の話をしている。今回の地震の話、そして阪神大震災の話。皆がいろんなエピソードを話しているのだが、全員、元気に笑顔で大変だったエピソードを、 話している。生き生きしている。
どこの飲み屋がうまいだとか、ゴルフがどーだとかの話のときより、よっぽど人間らしい。
かつては人間は一日一日を命からがら生きてきた。生きててラッキーなのだ。そのDNAが活性化しているのか。トマトも栄養が無い方が甘く育つ。
とりあえず、30キロくらいは歩けるかどうか、年に一度くらい、試してみてはどうだろう?