今回の豪雨災害に限らず、地震や荒れた天気などから予想される災害に関して発令される様々な注意報や警報、このシステムの曖昧さというか、危機感のズレというものが、言われてきたものが今回、多くの人を犠牲にしてしまった、という記事もある。
「危機感を感じれない口調」
すぐに逃げてください、といった警報や、災害に対して十分注意してください、といった注意報、しかし、テレビでの柔らかな口調では、現状の屋内というまだ状況が始まっていない環境から、やや過酷な屋外への避難は、実際逃げるとなると、かなり腰が重い。
子供を躾ける時に
「はい、何度も言うように、お片づけしてくださいね」
なんて言っても誰一人片付けなんてしてくれない。やや強めの口調で
「ほら!お片づけしないと、ご飯、食べれないけどいいのね!!!」
とか言って、行動を促す事と同じだ。
キャビンアテンダントだって、危機的状況の時は口調を命令形に変える。
「何その専門用語」
生活の中で誰しもが経験あるだろうが、説明を得る時に、作り手側に合理的に整理したカテゴリー、それをオープンにする時に、定義化せずにそのままに伝える事がある。いわゆる専門用語である。
たしかにそれが分かっているもの同士では、簡略化され、とてもわかりやすいのだが、定義が共有できてないグループに説明するときには、それはナンセンスである。
避難準備、避難勧告、避難指示
結局、どれがどう違うのかを、小さい頃から擦り込むように知らないと全く無意味である。
切羽詰まったときに、政府のHPでふむふむ、そういう事か、違いがわかったぞ。なんてやってる暇はない。
しかも、これも例によって、作り手側目線のネーミングである。準備してください、勧告しますよ、指示しますよ。と。
実際、とくに誰にも指示されてない。テレビのテロップが流れただけである。それでは当事者意識になる事はできない。
指示待ちの空気が、「ああ、あの時、逃げとけば」という気持ちになる。
テレビなどで、じゃあ次の指示まで待とう。という気持ちにもなる。焦って逃げて、周囲の人に大げさに思われるのも気が引けたりする。と思って、メールや電話で、どうする?どうしたらいいかねえ?と判断を取捨選択している間に、状況は最悪になる。
放送は「今すぐテレビを消して、行動してください。避難の種類は各地で違います。危機感を煽るようですが、今まさに、危機的状況です。テレビがついてるからといって、安全ではありません。私たちは遠くの安全な場所から放送しています。」とかぐらいで良いのかもしれない。知らんけど。