山と僕とカメラ

登山初心者のバタバタ日記

写真で表現するもの、とは。

写真、そしてカメラを趣味にすると、だんだんと腕を上げ、機材も増え、そして、綺麗な写真にレタッチ加工したくなります。

今ではインスタや、その他アプリ等でも簡単に画像を加工することができますが、今回の「加工」はそういったテンプレートの作業ではない、オリジナルの加工のお話です。

そうなると、簡易な閲覧用データ形式のJPGからもっとより多くの画像情報が入った、加工用データのRAWで撮影する方が良いでしょう。一眼のカメラ出なくとも今は画質選択で「RAW」を選べます。

 

RAWデータとは

写真は白と黒の間のトーンで構成されますが、その端っこのトーンが、JPGの場合、かなり圧縮されていて、明るくしたり、暗くしたりすることが難しいのです。RAWデータは、その辺がふんだんにデータがありますので、そういった加工が容易に行えます。

暗い中でいて、急に光が入ると、眩しくて白く何も見えなくなりますよね、でもなれると、見えてきます。逆に急に暗い部屋に入ると、いったん何も見えなくなりますが、次第にぼんやりと見えて来ます。RAWデータはそれと似てますね。

 

写真の加工をする意味

ところで、よく加工しすぎ、いじったから実際はこんなんじゃない!とか、よく聞きますよね。はい。

私の個人的な意見ですが、自分の「表現したい写真」がそこにあるならば、それに向かって、ふんだんに画像は加工してもいいと思います。ただし、ある部分を大きくしたり、付け替えたり、これはもう一枚のその瞬間の「写真」として表現するのとは違うジャンルの作品となります。それはまた別のアートなり、制作物なりとして存在します。ただし、これにも「表現したいもの」は付随します。それは一枚の瞬間の写真では表現できないものを、写真を使って表現したい方法として存在するのです。

 

写真に込めるプラスアルファ

では写真として「表現したいもの」とはなんでしょう。

その瞬間を切り取ることによって、何かを表すのですが、では見たままの、景色をそのまま写す、それだけということでしょうか。

では「見たまま」とはなんでしょうか。

空間そのものが持つ素材に、さまざま光が交錯して当たり、反射し、透過し、私たちの目に入ってくる情報を正確に再現することでしょうか?

それは、ある程度、カメラの中でしてくれています。

 

ただし、目に入った映像情報は、当然脳に送られます。

そこで、私たちの生きて来た過去の膨大な情報、そして現在の心情、体調、匂い、味覚、などが入り混じって、変化し、一枚の映像として記憶されます。

これは視覚に限ったことではありません、味覚もそうです。

もうお腹いっぱいの状態で、もう一個ハンバーガーを出され、食べたとして、どうでしょう?1つ目のハンバーガーと同じ味でしょうか?

空腹の状態で嗅ぐ食べ物の匂いと、満腹の状態の同じ匂い、違いますよね。

というわけで、実際の景色と、心で感じる景色は全く同一では無いのです。

写真を作る、とは、この「心を通して自分がその瞬間見た景色を心情を交えてアウトプットする」そういう制作なのです。しらんけど。

 

絵画と写真

絵画と似ていますね。

絵画は画家によって全然表現が変わります。それは、簡単にいうと、それぞれが感じたものが違う、そして、表現したいものが違う、作風がそもそも違う、からです。ただし、写真の場合、「事実」を主観的に表現することであって、ここが絵画と違うところでもあります。

ニュース記事も、記者が100人いれば、100通りの記事になります。同じ真実を伝えていますが、一言一句同じにはなりません。事実をいちど、脳に取り込まなければ、客観的立場として記事を書けないのです。

 

写真は単なる「記録」ではない

写真は、デジタルの前は、フィルムでした。フィルムの種類によって映る色や明るさが異なるので、表現したいものに近い色や明るさを出してくれるフィルムを選んだのです。また、印画紙によっても全く違うし、感光の時間によっても全く異なります。それが今では、簡単に後から選択できるようになったのです。しかも可逆的に。

大切なのは「何を訴えたいか」を付随させてアウトプットしないといけないということです。それがなければただの記録としての写真になります。それで良い場合もありますが。

構図、配置、表情等、さまざまな手段を講じますが、最後に丁寧にレタッチして、空気にその時、感じた色を吹き込む事も大切です。 

 

例 

「暗く、夜明け前の剱沢、かすかに稜線が見える。

ヘッドライトで照らし、テントを片付け、ザックにしまい、黒くそびえる剱岳にさよならを言って、反対側、向かいの別山に登る。

時間が経つ。次第に周りの雪渓のまだら模様が青白く見えてくる。

斜面を登り、休憩するごとに、周りは明るくなってくる。

これは日の出が近いのと、自分の目が慣れたこともあるだろう。

周囲が青いのは、夜明け前の空が青いため、その反射で青く見えるのだ。

息が上がり、苦しい。

1時間ほど急斜面をあがり、ようやく別山の尾根についた。

頂上にはちいさな祠がある。

安全登山のお祈りをする。

来た道を振り返る。

雄大剱岳が見える。下にはテントサイトのカラフルなテントが小さくぼんやり見えている。

ベンチに腰掛け、朝食の準備をする。

東側から、眩しい光が顔に当たった。

日の出である。

剣岳は東の山が影になり、まだ日は当たっていない。

今日もいい天気になりそうだ。

朝食を済ませ、コーヒーを飲んでいると、太陽が次第に剣岳の麓を照らし始めた。

尾根沿いに茂った草木の緑、谷あいの白い雪渓、ゴツゴツした岩肌、がはっきりと見える。先ほどまでの青一色の山とはまるで違う。

今日初めて見る、「彩色」である。この言い方が合っているのかわからない。

まだ、光が当たっていない場所もある、そこはまだ夜だ。だが、日が当たっているところはもう、昼のように明るい。

 夢中でシャッターを切った。この山にも美しい朝が運ばれようとしている。」

 

という心情をみなさんに表したかったので、写真はこの一枚。

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皆さん一人ひとりに、毎日すてきな景色が見えますように。