山と僕とカメラ

登山初心者のバタバタ日記

六甲山、表から登るか裏から登るか(中編その2)

そう、その優しい自由な奥様をもつおんじとともに雪道を登っていく。

 雪山では、冬用ブーツにアイゼンが定番である。アイゼンとは、靴底に鉄製の爪をつけ、凍った雪の上を歩くときの補助器具である。「アイゼン」はドイツ語由来の名前で、おそらくは「アイアン」と同じ語源だろう。クランポンと呼ぶ地域もある。これはつま先からかかとまで鋭利な爪で強力にグリップをする。でも今日はアイゼンではなく、チェーンスパイクだ。チェーンスパイクとは、車のチェーンのように、靴底に金属チェーンに突起が付いたものを巻きつける、主に雪道で滑らないようにするための器具である。突起はそれほど深くないので、凍った斜面には向かない。六甲山の積雪は木が生い茂っているせいか、元々の降雪量か、そんなに深くは雪は積もらない。なのでアイゼンほどの爪が深いと、下の石や切り株に足を取られるのだ。なので六甲山では、よほどのことがない限り、チェーンスパイクだ。でもこれは足首の脆い私だけかもしれない。実際、周りを見渡すと、アイゼンとチェーンスパイクは半々のようだ。チェーンスパイクを「チェンスパ」と略しているのを聞いたことがあるが、なんだか中華風パスタのようで、美味しそうだった。

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寒いけれど、降雪はなく、天気は落ち着いている。地獄のつづら折りを登りきると、人だかりがあった。

おんじは言う。

「ここから降りるよ。今登ってきた高さだけ降りないといけないんだ」

「マジっすか、たしかに、地図ではなんとなくそんな気がしてましたが、、、マジッスカ。」

と、やっぱり、そんな気がしてたのだ。インターネットで調べても、「登ってきた高さを、ここで降ります、なんとも」とか「はやく下の川沿いの道が治ればいいのに」とか、「昔は楽にこれた」とか、なんとなく薄々、大変だぞとは思っていた。

しかも、降りるにしても、その幅が狭い。つまり急なのだ。おんじ、あなた大丈夫ですか。と自分のことは棚に上げて、おんじのことが気になった。

「さあ、ここ降りるよ」

「へい」

ここは素直に従い、今度はさらにくねくねしたつづら折りの坂を下りるのである。これは、メンタルがやられる。何が嫌かというと、帰り道である。すでに財布を忘れているのを知っている上で駅に向かうようなものだ。これ登るのか。と、まだまだアマちゃんの私はドキドキしていた。

それでもおんじが「さあ、まだまだだよ」とか「よし、もうすぐだよ」とか、ツッコミがいのある、なんとも言えない掛け声をかけてくれるので、楽しく地獄つづら下りをしていけた。

途中、ゼエゼエハアハアと、心拍数が300超えてそうな人たちが下から上へ登ってくるる。汗だくで、いったいどれほど下に続いているのだろう。おそろしい。明日は我が身、いや、もうすぐわが身と気がつき、胸がキュンとなるのである。

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おんじ、私たち大丈夫でしょうか。

彼らにこそ「もうすぐですよ」と言ってあげたいのだが、私は知っている。そうかと、かってにあと5分程度だなと思い込み、全然、もうすぐじゃないじゃねえか!と使いきった体力を惜しむあの気持ち。

なので私はこういうことにしている。

「大丈夫、まだまだですよ」と。これならば、みな、がっくりきてペースを落とし、無事に頂上まで上がれるのだ、メンタルは一瞬やられると思うが。そこは申し訳ない。

そもそも、どの辺が「もうすぐ」でどのへんが「まだまだ」のラインなのか、いまいちピンとこない。体力有り余ってる人は、一合目から「もうすぐ」だろうし、トイレに行きたくて仕方ない人は、九合目、いや、頂上に着いても、ゴールまでは「まだまだ」なはずである。ここは正確に、「あと、〇〇メートル登りますよ」と言った方がいいのかもしれない。

とか、どうでもいいことを考えながら降りて行っても、いっこうに平らな場所につかない。物語では、ちょうどいいタイミングで着くものだが、実際はそうはいかない。登山は登りより下りがしんどいという人もいるが、絶対登りの方がしんどい。あれは、午前中の登りをサボったか、ご飯を食べてすっかり忘れてるのだ。下りはほとんど体力は使わない。しいていうなら、足の筋肉が張るぐらいだ。

とか、どうでもいいことを考えていると、ようやく下の平地についた。マジで。

「着きましたね!!!」

「ついたね、長かったね。これだから早く川沿いの道、直して欲しいんだよ、あれが通れば、すごい楽なのに」

「ほんと、これはもう、天城越えですね」

「越えたねー。」

ここまできたら、他の登山者も多く歩いているのが見える。平日なので皆、結構ベテランな人生を歩んできた人が多い。今の私は、過疎地で言うところの「若者」である。

ひらけた場所は谷になっていて、川が流れている。そこを逆に登っていくようなルートである。なんとも清々しい。川沿いに比べ物にならないほど大きな道もある。あれが、通行止の道か。すこし体を整えたのち、再度出発した。

しばらく林道の脇を歩いたり、堰堤を何度か越えて行く。

おんじとの歩調もあってきた。

「ところでおんじ、その真新しいザックやブーツはどうされたんですか?」

「昔のは、もうさすがにね、買ったんだよ。でもね、高いねー。」

「ですよねー、冬は特に。」

「小遣いからとかは、なかなか難しいんだ。だから、退職した時の持ち株を売ったお金が、結構まとまってて、それは嫁の知らないお金だから、そこから、すこーしづづ使って目立たないように使ってるんだ」

「やりますねえ」

「いやー、あれあってよかったよ、はっはっはっは」

なんとも、笑顔の奥にかわいらしい悪事の働く、おんじであった。

冬用の装備は高い。

ある登山家がこう言ったのを思い出した。

「登山の装備、服やザックは高価だけれど、その辺の服より機能的だし、壊れにくい。普段使用も併用し、5年ほど使うとすると、逆に結構割安だ。」

なるほど、たしかに。あんなに軽いのに完全防水のジャケットやパンツ。普段のコートではあり得ない割にはたしかに安い。そして、命も守ってくれる。素晴らしい。

それと、オサレ着まわし着こなしより、レイヤリングである。いわゆる重ね着だ。登山は夏であれ真冬であれ、人間は運動すると汗をかく、その汗を外側に出しつつ、適度に温度を保たないといけない。凍傷になったり死んでしまう。肌に接触する部分から、「ベースレイヤー」「インナーレイヤー」「ミッドレイヤー」「アウターレイヤー」と服の仕事が分かれている。ベースレイヤーは汗を皮膚から引き剥がし、インナーレイヤーで汗を拡散させる。ミッドレイヤーで保温し、アウターレイヤーは外界の環境を分離させる。単純に言えばそういう仕組みだ。素材も高機能な化学繊維でできている。綿は良さげだが、水分の蒸発には全く適していないから厳禁である。

堰堤を飽きるほど越えて行くと、なぜか上の方に導く札がある。

「え、これ上がるんですか」

「そうだね、、、何年か前の台風の影響でけっこう道が崩れて

迂回路が多いんだよ。」

「そうですか、、台風で。。」

2014年の台風11号の影響がまだ残っているのだ。ここ六甲山紅葉谷も例外ではない。各所が通こどめになっている。でも自然とはそういうものだと思っている。世界各地の絶景や自然名所は、人間にとっては大迷惑な、大災害や環境変化、台風、地震、火山によって出来上がる。富士山だってそうだ。なので、「地球に優しい」とかはなかなかブラックジョークに富んでいると思う。地球さんは全然人間に優しくない。土砂によって絶景が形成される一方、道は潰される。そして人間は生存の必要にかられ、危険を呈して山を越え、谷を進む。それがまた新しい道となるのだ。前に進まないと道はできない。なかなかの格言ができてしまった。

と、いうわけでまた登る。登って降りて、また登る。そしてきっとまた降りる。わかっています。人生とはそういうものですね。

それにしても、ここに集う人たちは元気だ。街や病院前で見かける人たちと同じ年齢とは思えない。こういう人に、私はなりたい。ザックを背負い、明らかに山に登ります!!という人に、どんな年齢であれ、電車内で席を譲る必要はない。と確信した。いや、むしろ譲られてはきっと迷惑だ。彼らは立っている間にもスクワット等で鍛えているのだから。ノーサンキューユアOMOTENASHIだ。

先ほど降りたその半分程度を登り返す。細い道なので、向こうから来る人とすれ違うのに苦労する。結構この瞬間が、足をすくわれやすい。人が見ているという意識、早くパスしなければ、という焦り、それが足を滑らすことになりかねない。譲るならば山側にへばりついて、オープンなスペースを作る。谷側で待つと、手を突かれてしまって落っこちかねない。たとえ、「え?そっち側避ける?」と思われようが、山側に避ける。自分の命が最優先だ。

と、今度は木々にロープが張られているなかなかの細い道があらわれた。

ここ、通るんですか。すごいっすね。これはもう、道じゃない。この近代化された社会にこれを「道」と名付けたのは誰だ。自治体だとしたら、なかなかたくましい。

よし、このどうみてもただの崖という「道」らしき地面を進むか。

さきほどの「進む必要があるからそこに道ができる」の意味を思いっきり感じでしまったのである。

(続く)