紀美子平から奥穂高につづく一般登山道が吊尾根と呼ばれる尾根沿いに続いている。
写真で見るとなるほど、吊橋の様にきれいに湾曲している。両サイドにきれいに圏谷ができているので、こんな感じになったのだろうか。
この道、吊尾根も、ここ紀美子平から奥穂高に行く場合は、なかなかの登山道だ。吊尾根という柔らかい名前に騙されてはいけない。
忘れてしまいつつあるが、一旦前穂高から、30分かけて下りたのだ。だから、その分、同じくらいの高さ以上ある奥穂高に行くには登り返さないといけないのだ。
前回
たくましい岩肌をこちらに向けている奥穂高岳は、なかなか近づかず、その高さは近づくに連れ次第に高く感じてくる。
登山道の目印の◯が、はっきりと描かれているので迷うことはないし、たとえ少々間違っても、視界は広いので、すぐにもとに戻れる。ただ、通行人がいない岩場は浮石だけは注意しなければならない。
吊尾根は稜線上を通る場所以外はほとんど岳沢側沿いに作られた細い道である。道というか、岩の連続を歩く感じだ。でも、ここまできた人は、どこでもドアでぴょんと飛んで来ない限り、この状況にひるむことはないだろう。
左手には、ずっと上高地がみえているし、西穂高につづく岩稜も見えている。もちろん、今回の目的地、ジャンダルムも見えている。
今回特に注目をしているジャンダルムを見えるたびに確認しているのだが、場所によって形が違う。面白い。
富士山のような形以外の山はそもそも、場所によって形が大きく違う。とんがって見える山も、実際はなだらかな尾根沿いに登って、まったく尖った険しさを感じることなく山頂に着くことも多い。いや、むしろ、安全側に作られている登山道は、そういったルートに道はあるだろう。
ジャンダルムは寸胴なバケツをひっくり返して平手で挟んで潰したような形をしている。一体どこから登れるのかと思う。実は西穂高側からは傾斜がゆるく、難易度も低い。他の登り方も、今後、技量と共に考えるとして、今回はその容易なルートで登らせていただくつもりだ。
その前に、このはじめての登山ルート、吊尾根を楽しもう。気がつけば、先程まで見えていた奥穂高山頂にある目印の祠は見えなくなっていた。いや、どうだろう吊尾根に入ってすぐに見えなくなってしまっていたのかもしれないし、ついさっきからかもしれない。とにかく見えない。山頂は尖ってないと、すぐに隠れて意外と見えにくい。
たまに尾根の稜線にでると、涸沢方面が見渡せる。前回天気が悪く、景色は楽しめなかった表銀座の稜線もくっきり見える。あのへんの山は花崗岩でできているのであろうか、こちらの穂高の山々とは全く違う山容である。いろいろあってすばらしい。
振り返ると前穂高岳がそびえ立っていた。かなかな立派な山容である。あそこにいたのだ。あそこから来たのだという経験が目の前にそのまま見えるのはうれしい。
普段、大阪にいると、山という山はあまりない。近場は六甲山や、金剛山、くらいだ。奈良や和歌山、滋賀の方へ行けばまだ登りがいのある山に出会える。それでも山頂まで樹林帯の山ばかりだ。
森林限界、という言葉がある。森林がもう生息できない限界の地域帯域という意味だ。
日本では、場所によっても大きく違うが、だいたい本州では2500メートルくらいだ。
それがどうしたという話ではあるが、このまま続ける。樹林が多いと、見晴らしが悪い。樹林がないと、見晴らしがいい。見晴らしがいいと、山登りが楽しい。樹林帯がない山登りは楽しい、という三段論法で、日本アルプスの2800メートル界隈は登山として人気なのだ。きっとそうだ。ちなみに、北海道に行くと、もっと森林限界は低い。ツンドラとなると、もう標高0メートルで森林限界だ。
なんとなく読者の皆さんは、お気づきのようだが、この吊尾根の道は、岩場ゆえ、集中に次ぐ集中で前半はよかったものの、後半は、目の前の岩場の対処で、残された記憶がとても薄い。だから、話が北極圏まで及んでしまった。大変申し訳無い。
ふと気がつくと、最後の斜面に取り付いた。なんとも都合が良い話だ。
そこにある鎖を、一歩一歩上がると、上がると、、いや、まだ、見えない、まだ見えないのか祠。
こういうときは振り返るに限る。富士山が見えていた。ほら、振り返ってよかった。
なんとなく、目指すものが見えた。この瞬間、ふっと落ち着く。そして足を滑らせる。そんなことのないように、最後まで気を抜いてはいけない。きっとこのへんは事故が多い。
しばらく、奥穂高山頂付近の稜線を登っていく。しばらくがどれほど長かったか、短かったかは、もうどうでも良い、やっと祠に着いた。帰ってきた。奥穂高岳山頂。
そう、二回目は、「帰ってきた」という安心感に包まれる。
時刻は13時15分。紀美子平を出発したのが11時45分。一時間半の長い橋であった。
私は今年の5月にここ奥穂高に登った。当時はまだ雪に包まれていた。それが、こんなにゴツゴツとした岩の集まりで成り立っていたとは、少々驚きだった。前穂高とほぼ同じ岩なのだが、ここ奥穂高で、二回の登頂のその違いから、岩の塊でできていることに驚いた。
多くの人がいる。ここ奥穂高岳は、今日の宿となる穂高岳山荘からほど近く、多くの登山者が登ってくる。ここに来る人の登山ルートは大きく分けて3つだ。
一つは何かしらのルートを経てここに来て西穂高に向かう、またはその逆を行く人、一つは私のように岳沢、吊尾根を通って奥穂高に行く人、もう一つは涸沢などからピストンで奥穂高を目指す人。
そういう理由で、ここ奥穂高岳は、常に人がいる賑やかな場所だ。朝の早くから、夕方日没ギリギリまで人がいるに違いない。山荘がすぐそこにあるというのはとても心強い。とりあえず、二回目の奥頬高山頂の写真を撮る。
そしてここでも、皆が口を揃えて「今日はみはらしがいいなり」「さようでござるな」とつぶやき、来てよかった感満載の笑顔で地平線を見渡すのだった。
と、ふと、山頂から一番遠い頂上稜線の端のところを見ると、なんと、例の傘の奥方が、立っていた。写真でも小さく写っている。背を向けていたが、あの白い傘は間違いなく、さっきの人だ。じっと彼方を見ている。
すごい、、、すごすぎる、、
あの後ろ姿、じっと遠くの山を見ているのだろう、おそらく何度もここに来ているに違いない。初めて登ったとき、誰かと登ったとき、天気も悪い日もあったであろう。そんなことを、遠くの山々が思い出させてくれるのかもしれない。
私はまだ、ここはニ度目だが、そういった思い出と経験を彼女のようにじっと時間を忘れて山を見つめれるくらい経験を重ねていきたい。
つづく
北海道で地震がありました。緊急時に備えを