人はなぜ山に登るのだろうか。
という永遠のテーマがある。
よく「そこに山があるから」というが、実際はどうだろう。
前に14サミットの登山家の竹内洋岳さんの講演を聞きに行って、その中で同じようなテーマで喋っておられた。彼の答えがすんなり入ってきた。
「人生、その生きる意味、ではなくて、今生きている、そこに意味を探すのが大切ではないか。今生きているから山頂に立って、星を見れる、その中で色々考えることが『生きている』ということなのです。」
「生きている」とは、単純に「死んでない」ということではない。いろんな場所にいて、いろんなことを考え、いろんな行動にチャレンジする。これが「生きている」という意味だと。
登山は、登るだけでなく、山から降りるという事とセットでなくてはならない。行ったっきりは絶対ダメだ。
仮に「人はなぜ山に登るのか」という問いがあるならば、「なぜ人は山から降りるのか」という問いもしないといけない。
もちろん、「生きて帰りたいから」だと思うだろう。でも、どうだろう。
私の場合、「次の山に登りたいから」である。
帰結するならば、「なぜ山に登るのか、それは次の山に登りたいからだ」である。
前回
というわけで、この下山「次の登山はどこに行こう」、と考えながらの吊尾根ウオーキングとなった。
奥穂高から前穂高に行く吊尾根は、左右対称ではなく、奥穂高のほうが高い。前穂高は、その下の紀美子平に続いているので、多少のアップダウンはあるものの、全体的にくだり勾配だ。とはいえ、楽な道ではないのは前述したとおり、急な崖や、細いトラバースを通っていく。
時刻は7時半、気温は涼しく、気持ちいい。先程までの、緊張感を抜ききってはいけないが、周りの景色を見ながら歩く余裕はある道であることにあらためて気がつく。そもそも、この道も、もともとはなかったので、先程のような厳しいルートだったはずだ。それを重太郎さんが必死で道に変えたのだから、素晴らしい功績だ。こんな私でも半日で上高地から穂高岳に登れるのだから。
霧が晴れたりまた曇ったりをくりかえす。振り返るとジャンダルムは曇っている。昨日はずっと晴れていたのに、今日はやや天気が悪い。ジャンダルムでは、見晴らしは良くなかったが、曇っていて幻想的ではあったので、それはそれで、良しとしよう。
あのひとときは、本当に孤独と幸せが入り交じる空間だった。
↑(孤独満喫中の私)
先にゆく人たちがチラホラ見える。山では比較するものがないので距離感はなかなかつかめないが、その人達がいる場所までここから何分で着くか、それを確かめて、その場からまた振り返って、計測した地点を確認すると、距離感が何となくつかめる。
歩行ペースは、街なかを歩くよりもかなりゆっくりだ。半分の半分くらい、それを考えると、意外と遠くないのがわかる。時間はかかるが、距離は遠くないのだ。でも遠い。
途中、鋭利なナイフのような岩場があった。あれも誰か登ったのだろうか。
たまに稜線に出ると、左右に涸沢、上高地が同時に見える。何度も見た景色だが、不思議な光景だ。横尾まで回って涸沢に入るのは、Uターンしているルートなのだ。上高地から涸沢まで、横尾を通る道は、気持ち的にはどんどん奥に入っている気がするが、実際は明神岳と前穂高連峰が南北に連なり、それを巻くようにして涸沢に入るルートだ。こうやって見ると、実感できる。
前穂高岳がだんだん大きくなってきて、次第に山頂部は奥に隠れてしまった。ということは、そろそろ紀美子平だ。
紀美子平に到着したのは8時半、普段ではモーニングコーヒーにピッタリの時間だが、今の私にとっては、昼ごはん前の胃袋だ。
残りの行動食の中から、カロリーメイトと、ソイジョイを選んで食べる。なるべく歯応えのあるものが食べたかった。ここで、はたと思いだした。
「さあ、岳沢小屋のカレーを食べに行こう」
昨日、前穂高の山頂で聞いた貴重な情報を。
うおおお、俄然やる気が出てきた。山といえばカレー、カレーは素晴らしい食べ物だ。
山で食うカレーはもう「カレー」ではなく、「華麗」と表記してもいい。それほど素晴らしい。ああ、もうカレーの口になってしまった。
気がつけば手袋がぼろぼろになっていた。長い間使っていた物だが、これほどまでになるとは、北アルプスの山頂稜線の険しさ、まさに手に取るように感じたのであった。
ちなみにレインアウターも着ていたが、お尻が綺麗に破れていた。やった場所の大体の見当はつく、あの跳び箱で越えたウマノセ辺りだ。
手袋を予備に交換し、影でアウターを履き替えて、いざ、重太郎新道を下りる。いきなりの崖だ。やはり、登るより下りるほうが危ない。とはいえ、一歩づつ降りれば問題ない。浮石に気をつけて、踏み外さなければ大丈夫だ。
それを警鐘する看板もある。なんとなく、かわいい。
すれ違う登山客を譲るのが一苦労だ。あまり場所はないので、壁にへばりついて足場を広くしたり、少し高台に登ったりと、こちらのほうが気を使う。斜面のザレ場に足をすくわれかけた。危ない。
ハイマツの岩場をすぎると、木立の中を急峻なつづら折りの岩場の連続を降りていく、ここからのほうが危なかった。土混じりなので、足場が滑りやすい、だから次の一歩までの重心移動が慎重になり、ペースもゆっくりになる。
そこを恐るべきペースで降りていく二人の登山者に道を譲った。彼らはあっという間に下の方に降りていった。どうなってるんだ、すごすぎる。いや、今の私は、今のペースでいいのだ。てくてく。
やはり、ここは足元に集中するので、「岩」「土」「木の根」ぐらいの記憶しかない。
ただ、所々に休憩できる平地があり、そこからみる上高地がだんだん低くなり近づいていることで、ああ、今やってることは無駄じゃないんだなと思うことができた。人生休憩は大切である。そうだ、カレーだ、あいつが待っている。
急登もこの長い梯子で最後になる。ここを慎重に降りてあとは少し臭うお花畑を行くだけだ。この梯子は岳沢ブログによると、最近、一番上から足を滑らせて一気に下まで堕ちてしまた遭難者がいたらしい。20メートルはあったであろうか、生きているらしかったので、それは良かったが、ここを落ちて、生きていたって、よほど運が良い、そレほど長い梯子だ。
お花畑は、やっぱりすこし臭った。これは私だけだろうか。
あきるほど嗅いだら、やっと沢に出た。ここを越えたら岳沢小屋だ。
足が軽くなる、このへんで足をくじきやすいので、慎重に。
テント場を越えると茶色いウッドデッキ、そして屋根が見えた。
岳沢小屋に着いた。
先程の健脚無双の登山コンビも休憩していた。会釈をかわす。
ザックをおろし、お財布を出し、ロビーに入る。
メニューの張り紙を見る。
【本日はカレーは作ってません】
「。。。。。。。。」
気が遠のいたのは言うまでもない。
そのお金で手ぬぐいを買った。すぐに封を開け、涙を拭いたかった。お土産なので我慢した。
気分をあらため、次なる胃袋を幸せにできる場所、上高地を目指す。
「あーあ、食べたかったなー、岳沢カレー」
「しょうがないじゃない、今日は作ってないんだもの」
「作ってないって書くぐらいだよ、それほど問い合わせが多いってこと、つまりは美味しいってことじゃん」
「そうかもね、まあ、そもそも、棚ボタの情報なんだからさ、食べれなくってあたり前、食べれてラッキーって思えない?」
「そうだね、たしかに。よし、麓でビールと、おやき食べよう!」
「あの売店のチーズ的なやつね、うん!」
と一人問答をしながら、上高地までの長い道を歩く。
だんだん暑くなってきた。少し汗ばんでしまったので一枚服を脱ぐ。だが、気温はまだ低いのか、そうなると少し寒い、くしゃみをしながら下りる。いつものことだ。温度に敏感な鼻だ。
すれ違うワンデイ・トリッパーが多くいた。全てとは言わないが、ほとんど外国人だ。なぜなんだろう。彼らの装備からして、岳沢小屋までが限界だ。カレーか、奴らもカレー狙いか、今日はやってないぞ。いや、ツワモノ怖いもの知らずな外国人は紀美子平まで行くかもしれない。全部で10組ぐらいの外国人にあったであろうか。
そのうちの一組の外国人カップル、男性の方がすれ違い挨拶の時にビールがどうのとかを私に言ってきた。
私「ああビールは上の小屋にあると思うよ。」
彼「ビールじゃねえよ、ベアーだよ!ベアー!」
私「ああ?熊?熊が出たの?」
彼「そう思ってたんだが、熊だと思ったら君の鼻をすするノイズだった」
私「え?ブヒブヒ、これ?」
彼「そうそう!それ、それが遠くから、ずっと聞こえてて、熊かと思って俺たち、ビビってたんだぜ」
私「そりゃすまねえ」
彼「いやいや、じゃあな、お大事に」
私「君たちも熊に気をつけて」
彼「ありがとう」
となんだか、私の鼻をすする音が、二人をビビらせてしまっていたようだ。
今日はカレーがないことは伝えきれなかった。
風穴に着いた。
行きは全然感じなかったのが嘘のように穴から冷気が吹き出していた。すげー!!
こ、こ、これが天然クーラーか!ネーミングのダサさからは計り知れぬ、快適空間がそこにあった。
暫く行くと、下り勾配はなくなり、のんびりと木立の中を歩く。もうここまでくれば、あとはもう惰性で行ける。
登山口に着いた。おお、文明よ、久しぶり。
目の前を、排気ガスふんだんのトラックが通過する。何か一気に汚染された気分だ。
いや、彼らこそ、私達が安全に登山できるように日々、働いているのだ、ありがとう。
上高地というリゾート感に包まれながら、私は一路、お風呂とビールを目指すのであった。
つづく
北海道で地震がありました。緊急時に備えを