岳沢の重太郎新道というのは、穂高岳山荘をつくった今田重太郎、彼が一般登山客の安全を思い、一生懸命作った道である。その途中に「紀美子平」と言われる場所がある。
そこは、岳沢小屋から前穂高に行く途中、そして奥穂高に行く分岐点となっているところである。そして急峻な崖の中にぽつんと開けた場所になっている。前穂高岳に登る際はここに荷物をおいて上る人が多いとても便利な場所である。紀美子平の紀美子とは、重太郎の娘の名であり、道を作る間、ここによく娘をこさせていたという。
その、紀美子平を目指して登っていく。樹林帯は終わり、ハイマツが増え、見通しが良くなる。先程から、紀美子平、カモシカの立場など、いろんな名前がついているが、これは観光スポットの名称というより、レスキューの座標として命名され役立っているというのをどこかで見た記憶がある。なお一歩一歩、気をつけて進む。
見通しが良くなってからは、岩の稜線を突きあがっていく。天気はよく、暑い。時刻と共に下りてくる人も増えてきた。おそらく穂高岳山荘から朝イチで下山していく人たちだろう。そういえば、下の岳沢小屋にちょうど同じタイミングで下りてきた人がいたが、彼は、3時間程度で下りてきたという、恐るべし速さだ。きっと前世はカモシカだ。
それにしても岩場が持ちにくい。さっきも言ったが、岩が滑り台のような傾斜でそれがドミノ倒しのように重なっている。そう、ドミノ倒しだ。
とはいえ、各所に鎖場やはしごがあり、足元に気をつけていけば、とにかく進める。
追いついた中にはご年配の方も多く、軽装のいでたちに「モー駄目よ、何この道」といった口癖を発せらていたのがやや心配だが、そういった方も多く登られていた。モーダメおばちゃんは本当に心配だった。
岳沢から2時間、ようやく紀美子平に着いた。
そこには多くの登山客、そして置かれた荷物があった。
予定の時間よりも1時間早く来れたので、ここでたっぷり休憩をとった。
ザックからパンを取り出して頬張る。うまい。
ドリンクは水かスポーツドリンクしかないのだが、どっちもパンにとても合う。喉の渇きは最高の調味料だ。
岳沢から登ってくる人、そして奥穂高から下りてくる人、前穂高に登る人、と賑やかだ。見晴らしも最高である。
正面に見える上高地は、とっても遠く、小さい。そのかわり右手には穂高の山々が目前に迫っている。直ぐ側には奥穂高が悠然と。左手には明神岳、そして後ろには山頂は見えないが、前穂高がある。これは紀美子さんも毎日飽きずに来れただろう。どうだろう。
来た道もよく見える。なだらかに見えるが、そうではない。
しばらくした後、前穂高に登る。荷物はあえて背負って行く。トレーニング、といえばいいのだが、アタックザック的なものを今回は持ってきていないので、カメラ以外、置いていくにしてもその袋もない。というわけで、全部持って上がることにした。
なかなか、きつい。重太郎新道のさらに過酷バージョンだ。荷物、置いていけばよかった。最近のスマホはよく撮れる、、、
30分ののち、前穂高岳山頂に着いた。
広い。なだらかな岩場の山頂だ。その向こう側には涸沢が見下ろせる。
よく見ると、富士山が見える。それどころではない。南、中央、北アルプスのほとんどの山が見えているのではないだろうか?天気がほんとにいい。
(右、槍ヶ岳から左、ジャンダルム)
私はあまり山の名前は知らないのだが、他の登山客が地平線に指をさして〇〇岳だ、〇〇山だ、と言っている。」
(明神岳)
(奥穂高が間近に迫る)
(表銀座のその奥、白馬かしら?)
(表銀座)
(西穂高)
(奥穂高)
「こんな日めったにないよ」
という名言が聞こえた。
こういうのはほんとに今日来てラッキーと思える。
滅多にない、初めてきた。やったー。
前穂高には北に尾根が伸びていて、2峰、3峰と、8峰までピークが連なっている。
涸沢の方から5峰あたりに取り付いて、そこからあがってくる人たちを山頂から見ることができる。
最後の2峰から、懸垂で降りる人たち2人がいて、その人達が、その後、この山頂に来たのだが、なんと、なんと女性二人組であった。
後々、写真を確認すると、先程の中にも彼女たちの姿が、勇姿が写っていた。
すごいなー。ほかにも、クライミングでここに来た団体も多くいて、そのうちのリーダーのオジサンが「さあ!片付けて岳沢小屋のカレー食いに行こう!」と、ちょっとコンビニ感覚でもの申していたのが印象的であった。
むむ?岳沢小屋のカレー?気になる、帰りに食べよう。
ということで、私も前穂高から降りる。
なるほど、結構危ない。今回はじめての下りであるが、大きな石にしては、浮石も多く意外と滑りやすい。ほんとに一歩一歩ゆっくり下りた。
往復1時間の前穂高山頂めぐりを終え、紀美子平に帰ってきた。
今回、何回「紀美子」と書いただろう。9回だ。
つづく。